1958年の開幕戦で、国鉄(現ヤクルト)の金田投手が、長嶋茂雄選手を4打席4三振に切ってとった試合はいまだに語り継がれています。

対戦の裏には、新人の長嶋選手に絶対負けられないと意識した金田投手の努力がありました。


その様子を、平成23年2月20日付東京スポーツ新聞の記事から引用します。

金田 たかが8年後に入った選手だから、屁でもない。だけど「屁でもない」者に、屁でもない以上に対抗するために自分を作り上げた。その作り方がすさまじかった。
 
どんなに指宿の海岸を走り、恐ろしいほど節制したか。食事から布団、枕まで、すべて。
 
これを倒さないとプロ野球の名がすたるという使命感があった。これほど開幕に焦点を合わせたことはなかった。
 

 
その結果の4奪三振(次戦対決の第一打席も三振)。打ち取った側にとっては当然の結果だった。
 
(中略)
 
ましてやマスコミのあおりで100倍節制したんだから当たり前。
 
そういう自分を作り上げていった物語が長嶋との対決。
 
オープン戦で打ちまくった長嶋の華やかさと違って、それを倒そうとしてた金田の生活は当時、誰も取り上げなかった。
 
58年の金田は自己最多の31勝のほか、6月で20勝到達、64 1/3イニング連続無失点という驚異的な日本記録を残している。
 
(中略)
 
朝食を取らずして一日を始めるな。よく言われるけれど、こんなことは六十何年前からやっていた。
 
サラリーマンも朝を抜くんじゃなく、野球選手と同じように自己管理をして体力をつけないと、人の説得もできない。