スポーツライターの小林信也さんが、週刊新潮のコラム「アスリート列伝・覚醒の時」で、山田久志投手のピッチングについて言及されています。
小林さん自身が山田投手をコピーしていた時期があり、山田投手は先輩の足立光宏投手を手本にしていました。
山田投手は足立投手のシンカーだけはなかなか体得できず、「下からフォークボールを投げられないか」と研究を重ねたところ…
(このコンテンツは雑誌「週刊新潮 2021年1/14号」58~59ページを参考にしています)
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山田久志投手のフォームをコピー しかし速球は習得できず
高校生だった小林さんは、雑誌の写真を参考に山田投手のフォームを真似しました。
高校野球の投手だった私は、山田久志に特別な思い入れがある。高一の夏、アンダースローに転向した。「週刊ベースボール」に乗っていた山田と足立光宏の連続写真を切りぬいて、それを手本にシャドーピッチングを繰り返した。
足立はすぐ沈み込むオーソドックスなアンダーハンド。
高く足を上げ、一度伸びあがってから沈む山田のフォームは画期的だった。リズミカルで力感があり、真似をすると格段の爽快感があった。
だが、いくら真似をしても、山田のような跳ね上がるスピードボールは投げられなかった。
高校生には見抜けない大切な核心があった。
山田は腕こそ下から出していたが、「手首は立てていた」と言うのだ。それは、想像もできなかった。
その山田投手は、チームの先輩を見習っていました。
山田投手は足立投手を手本に フォークを練習→シンカー習得 投げ方のコツは
山田投手は、足立投手を手本としていました。
「入団した阪急に足立さんがいたことが大きかった」
山田がしみじみと言う。
「1年目はうまく行かなくて0勝。2年目も10勝したけど17敗、散々だった。
西本監督が”ヤマ、お前ずっと足立を見ておけよ。そうすれば間違いない”って」
足立投手から様々なことを教わりましたが、唯一、教えてもらえなかったことがありました。
「自主トレーニングにも何年か一緒について行きました。練習から食事まで全部教わった。
でも、シンカーだけは教えてもらえなかった。自分で開発してこそ本物になると言われてね」
山田さんは自身で研究を重ねた結果、独自のシンカーを確立します。
数年後、試行錯誤の末に落差の大きい、”山田シンカー”を生み出した。
「下からフォークボールを投げられないか、ずいぶん練習したのですが、どこに行くかわからない。
それで、指の間隔をフォークより少し狭くしたらストーンと落ちた。
私のシンカーは、本当は”スプリット”なんです」