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雑誌週刊文春 2016年1/7号から、山本昌氏と阿川佐和子さんの対談を紹介しています。
 
山本昌投手といえば、その実績と共に、32年間という現役の長さも際立っています。


それだけの長期にわたり現役を続けられた理由のひとつが、自身によって語られています。


 
山本 自分がこれだけ長く現役をやれたのは小さな努力を継続できたことが一つの要因だと思っています。派手な努力はできないんですが。
 
阿川 派手な努力って? 
 
山本 「今日から一日10キロ走るぜ」とかは無理なんです。その代わり毎日寝る前に2キロのダンベルで数分間手首を鍛えたりは高校時代からずっとしてたんですね。(両腕を差し出して)ちょっと見比べてください。 
 
阿川 左のほうが太い!このトレーニングは誰かに習ったんですか? 
 
山本 いや、自分で決めて。高校時代にダンベルを1500円で買いまして、そのダンベルを今でも使ってます。 
 
阿川 お金のかからないプロ選手(笑)。
 
山本 そうですね(笑)。その頃は5種目の自分で決めたトレーニングの中から2種目を毎日寝る前にやって、ノートに記載していたんですよ。 
 
阿川 なんて几帳面なご性格! 
 
山本 そんな小さな努力でも6、7年くらいやると成果が出てくるものなんですよね。
 
阿川 地道ですねえ・・・。根気あるなあ。山本さんが野球を始めたきっかけはなんなんですか? 
 
山本 小さな頃から親父や兄貴とキャッチボールはしてまして。僕は覚えてないんですけど、幼稚園のときにボールを投げたら園庭を越えてしまったという伝説があるらしく・・・(笑)。
 
阿川 もともと才能があったんですか。 
 
山本 肩があったんですね。それで小学三年生からチームに入るんですが、僕は晩熟の選手だったので、子供の頃は運動神経は良くなかったですね。 
 
阿川 えっ?肩があるのに!? 
 
山本 中学でも三年生までベンチでしたから。 
 
阿川 中三まで補欠だったんですか!? 
 
山本 はい。ところがたまたま中学三年のときにエースが腰を悪くしちゃって、繰り上がりで僕がエースになった。チームが強かったおかげで市内では優勝して、推薦で高校へ行けたんですよ。
 
阿川 当時の憧れの選手は誰ですか? 
 
山本 巨人ファンだったので、堀内恒夫さんです。実は自分の投球フォームは堀内さんを真似て出来上がったんです。形態模写が下手なんで、似てないと思われるかもしれませんが(笑)。
 
阿川 誰にも気づかれなくてよかったかも(笑)。


 
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