タレントの上地雄輔さんは、小学生から高校生まで野球部に在籍していました。
キャッチャーだった上地さんは、ちょっとした策略を実践したり、近い世代の投手と印象的な出会いをしていたようです。
週刊文春2016年2月4日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」から一部を抜粋して紹介します。
野球上達に役立つかどうかは微妙ですが、ひとつのエピソードとしてご覧下さい。
上地雄輔さん「キャッチャーは変身できる」
阿川 野球を始めたのはいつからですか?
上地 小学校一年生の時だね。
阿川 最初からキャッチャーだったんでしょ?なんでキャッチャー?だったの?ふつうはピッチャーがバッターに憧れるんじゃないの?
上地 観客はピッチャーやバッター、打球を観るでしょ。キャッチャーだけみんなとは反対の方向を向いて坐ってるから、全体を見渡せるのね。捕手は目立たないんだけど、みんなが注目するピッチャーやゲーム全体を操れるのが面白いなと。
阿川 それ、小学校一年のときに気づいたんですか?
上地 最初は変身できるところが気に入ってた(笑)。マスクにプロテクターにミットでしょ。
阿川 ヤクルト時代の野村(克也)監督は、「俺が暗くなったのはキャッチャーだからだ」みたいにおっしゃってましたけど・・・。
相手を油断させて試合の流れを変える
上地 こんな明るいキャッチャーもいる(笑)。それとね、野球をやってる時は相手からわざとナメられるのがすごく好きだった。ナメられてると分かると、マスクの奥で(表情を崩しながら)ク~ッって笑うの。もっとナメて、もっとナメてって。
阿川 えっ、自分がナメられるのを楽しんじゃうの?
上地 試合前のピッチング練習で、最後にキャッチャーが二塁に投げるんだけど、(実演しながら)あれをわざとヘナヘナって投げて肩が弱いふりをする(笑)。
すると向こうは「簡単に盗塁できる」と思うでしょ?試合で相手が不用意に走ってきたところを、ズバーンってアウトにするのが好きだった。
阿川 なんだそれ?肩弱かったんじゃないのか?
上地 試合の流れが変わるの。簡単に盗塁できると思ってたのにアウトになっちゃうわけだから、敵のベンチのムードは最悪なのに、こっちはアウトが取れるし、大盛り上がりになる。
丹波慎也投手の悲劇と松坂投手の印象
上地 最初は横浜高校に行く気がなくって。
阿川 どうして?
上地 たまたまセンパツの神奈川県予選をテレビで観て、俺の中学の三つ上の先輩を応援してたの、その先輩の高校に進もうと決めかけていたわけね。
ところが、対戦相手が横浜高校で、まだ高一のピッチャーが出てきて、バッタバッタと三振取って、名前のテロップを読むと「丹波慎也」。
あっ、この人の球を受けたい!そう思って、中継が終わるなりオカンに「俺、やっぱり横高へ行くわ」と言ったら、オカンも「そう言うと思った」。それで横浜高校に決めたんです。
阿川 その丹波さんが突然、亡くなっちゃうんでしょ?
上地 そう。せっかくバッテリーを組めたのに、高二の夏に急性心不全で。もうショックどころの騒ぎじゃなかったものね。見た目もカッコよかったし、頭もすごく良かった。何より自分の芯を持った人だったしね。
阿川 高校生にして、身近な人の死を体験するのは辛いね。入れ替わるように新入生として現れたのが松坂君(大輔。現ソフトバンク)。やっぱり最初からとんでもなかった?
上地 それ、みんに訊かれるんだけど、中学生から来たばっかりだから。まあ、エースになるだろうなとは想像してたけど、やっぱり高校二年生の丹波さんの球の衝撃とは比べ物にならない。中学生と高校生じゃ体つきが全然違うから。
阿川 そーか。上地選手は卒業後も野球を続けたいとは思わなかったの?
上地 うーん、全く思わなかったというと嘘になるけど、怪我もしたし、自分の実力じゃプロになれないことは分かってた。
野球部を引退してすぐに原宿でタレント事務所の人に声をかけられて、芸能の仕事をバイト感覚で始めちゃったのもあったし。
抜粋ここまで。
ちなみにウィキペディアによると、上地さんが芸能界を目指したのは、明石家さんまさんからの一言も大きく影響したようです。
上地さんが高校1年生の時、さんまさんが横浜高校野球部にジュースを差し入れしてくれました。。
その際上地さんが一人でお礼を言いに行ったところ、さんまさんから「おまえ面白いから芸能界入れ」と言われたのです。
この一言が上地さんを芸能界へ向かわせる原動力となりました。