雑誌「週刊ポスト」に、「野村の遺言」という特集がありました。
 
野村克也氏が、プロ野球の現状への批判や疑問を語られている記事です。

その中で、野村氏が考える「キャッチャーとこういうもの」「捕手育成への危機感」が伝わってくる箇所がありました。
 

 
一部を抜粋して以下に紹介します。
 
(このコンテンツは雑誌週刊ポスト2016年11/4号(Amazon)152ページを参考にしています)

名キャッチャー(名脚本家)は減ってしまった

私は「キャッチャーは脚本家」であると思っている。キャッチャーがサインを出し、それに従ってピッチャーが球を投げ選手が動く。試合という「舞台」は、キャッチャーの書いた「脚本」で決まるからだ。
 
映画界にはこんな名言があるという。
 
「いい脚本からダメな映画が生まれることはあっても、ダメな脚本からいい映画が生まれることは絶対にない」
 
野球も同じだ。キャッチャーが良い脚本を書けなければ、名勝負という良い”作品”は生まれない。たとえ大谷と言いう”名優”がいても、活かすことはできない。プロ野球のレベルが下がっているのも無理はないというわけだ。
 
かつては森昌彦(現・祇晶)や手前味噌ながら私、古田(敦也)や谷繁(元信)など、時代ごとに名キャッチャーと呼ばれる選手がいたものだが、最近は見当たらない。なぜ、名キャッチャーはいなくなってしまったのだろうか。
 

キャッチャー人気低下と指導者不足「古田捕手は例外」

近年はキャッチャー人気が低下しているそうです。

そもそも最近は、キャッチャーになりたいという子供が少ない。だからキャッチャーが育たない。
 
私の幼少時代、一番人気は今と同じくピッチャーだったが、二番は実はキャッチャーだった。プロテクターをつけるのが格好良かったからだ。しかし今の子供たちに訊くと、「立ったり座ったりがしんどいから」イヤだという。子供の頃から楽することを考えているのだから、なんとも悲しい話だ(苦笑)。
 

 
そして、キャッチャーとは何かを教えられる指導者がいないことも大きい。
 
キャッチャーは専門職であり、経験者でないと教えられない。私はヤクルト時代、一年間フルに古田をベンチで私の横に座らせて勉強させた。彼は元々キャッチングとスローイングが良く、頭脳明晰だったから一年でモノになったが、例外だ。本来は経験者がつきっきりで教えても何年もかかる。
 
にもかかわらず、最近はキャッチャー経験者の監督が少ない。特にセ・リーグは外野出身の監督ばかりだ。

「野球恐怖症になった」試合を左右する重要なポジション

私には「外野出身者に名監督なし」という持論がある。外野は試合中に考えるのは守備位置くらいで、頭を使わない。
 
現役時代、そんな過ごし方をした監督に複雑なサインプレーはもちろん、キャッチャーが好リードをしているかどうかなどわかるはずがない。
 
抑えればいいリード、打たれれば悪いリードとすべて結果論で判断する。そもそもキャッチャーの重要性を理解していないのだ。
 

 
私はその重要性を知った時、野球恐怖症になったことがある。プロ4年目のことだ。
 
自分は指ひとつで試合を左右する立場であることに気付き、根拠のないサインを出すというのがいかに問題であるかを痛感、怖くてサインが出せなくなったのだ。「キャッチャーは守りでは監督以上のことをしているのでは」と恐ろしくなったのである。
 
バッターの長所短所、カウント、打者心理、投手心理・・・一球ごとに状況が変わる中でサインを決める。しかもそれが試合をも決める。それだけに責任は重大だ。
 
だがもちろん、やりがいも大いにある。成功した時の達成感や喜びは何物にも代えがたい。だから私は、生まれ変わってもキャッチャーをやりたいと思っている。
 
よく野球は「筋書きのないドラマ」といわれる。やはりドラマには脚本家が必要だ。キャッチャーは脚本家であり、いい脚本家らは野球の本質が見えてくる。もう一度、しびれるような脚本での名勝負が見たいものだが。