長嶋さんが立教大学に在籍していたころは、決して守備が得意ではなかったようです。

簡単なゴロを捕り損なったり、一塁への送球も、スタンドへ飛び込むほどの暴投をすることもありました。


プロ時代には華麗な守備でファンを魅了するまでに上達したのは、立教大学野球部砂押監督の千本ノックにより鍛えられたからです。
 
当時の監督は「鬼の砂押」と言われ、100本ノックは「100本ノックを打つ」のではなく、「100本キャッチするまで何本も続く」ものでした。
 

 
しかも90本あたりから飛び込まなければ捕れないような球を打つのです。ノックが300本を越えることもザラでした。
 
長嶋さんは特に砂押監督から鍛えられたようで、「月夜の千本ノック」というとんでもない特訓を受けていました。「今なら社会問題になるかもしれない」とまで言われるほどの過酷さです。
 
ナイター設備などは無い時代なので、夜はボールが見えなくなります。そこで砂押監督はボールに石灰を塗り、闇の中でも見えるようにして猛ノックを続けました。
 
しかしノックを続けていると当然石灰も落ちてきます。それでも長嶋さんは必死でボールに食らいつきました。
 
この厳しい特訓に長嶋さんがついていったのは、砂押監督の確かな愛情を感じていたからでした。
 
他人にノックを任せるのではなく、必ず自分でバットを持ち、とことん長嶋さんにつきあう砂押監督に、長嶋さんもヘトヘトになりながら「よし来いノッカー!」と大声で応えていたそうです。