清宮幸太郎選手 プロ生活初期の不調 環境の変化

清宮幸太郎選手は、史上最多の高校通算111本塁打をひっさげて日本ハムファイターズに入団しました。
 
”怪物”と呼ばれた清宮選手といえど、やはりプロの洗礼は厳しかったようで、キャンプは一軍でスタートするも、2月には胃腸炎を発症してしまいます。
 
オープン戦では7試合無安打と極度に打撃不振に。さらには限局性腹膜炎に罹患してチームを離れ、入院せざるを得なくなりました。
 
このコンテンツは週刊文春2018年5月10日号39~40ページを参考にしています。
 

あまり報じられませんでしたが症状は重く、手術の可能性もありました。幸い薬が効いたため手術は避けられました。
 
しかし体重は8kgも落ち、ようやく二軍の全体練習に合流したのは4月3日でした。
 
 
清宮選手が体調を崩したのは、プロに入って環境が変わったことによるストレスが原因ではないかとの見方もあります。
 
清宮家の自宅地下には専用のトレーニングルームがあり、清宮選手はそこで元プロの指導を受けることもあり、いわば”手取り足取り”の環境で研鑽を続けてきました。
 
それから比べると、プロの若手選手の生活はまさに”激変”であり、ストレスが溜まっても不思議ではありません。
 
そんなプロ生活にも清宮選手は徐々に順応していきました。
 
二軍若手の雑務である
 
・キャッチボール用のボールの用意
・バス移動の際の荷物運び
 
などは最初は不慣れでしたが、仲の良い難波侑平選手からやり方を教わり、動き方のペースをつかみました。
 
 
それに伴い、プレー面でも成長を見せています。
 
課題とされた守備は、名手として知られた飯山裕志・二軍内野守備コーチが”捕って、投げる”という基礎を連日一時間半の特守でみっちりたたき込んでいます。
 
この特訓に加え、柔軟な体をもつ清宮選手の身体能力が活かされれば成果は得られる、というのがチーム関係者の見方です。
 
不振だった打撃では、4月17日の楽天戦で、二軍デビュー13打席目で初ヒットを放ち、そして20日には待望のホームランが飛び出します。打撃に関しては「一軍でも通用する」と評価されています。
 
タテの変化球に悩んでいるようですが、清宮選手の調整能力は高く、高校時代も1打席目で打ち取られたら、2、3打席目は適応したスイングをしていました。
 
さすがにプロではそこまで簡単ではないでしょうが、
 
「一軍に上がって各球団のエース級と三回りぐらい当たれば、対応してくるのではないか(調布シニア時代の安羅岡一樹監督)」
 
との見方もあります。
 
前田幸長氏の少年野球監督・指導法「強豪チームの作り方」
 

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