楽天イーグルスのオコエ瑠偉選手は2015年の高校野球で夏の甲子園を大いに沸かせ、その年の秋にはドラフト1位で同チームに入団します。
 
2016年は高校新人ながら開幕一軍入りする球団初の快挙を成し遂げ、本塁打も放ち鮮烈なデビューを飾ります。
 
しかし翌年はキャンプ二日目にケガで離脱してしまいます。

当コンテンツ作成時点(2018年春)では調子を上げており、2017年にはクライマックスシリーズにも出場しています。
 

 
本領を発揮し始めているオコエ選手ですが、学生時代からプロ入り当初にかけては野球に対する意識を疑問視されることもありました。
 
雑誌「週刊現代」の記事から、そうしたオコエ選手のエピソードを紹介します。
 
この記事は「週刊現代」2017年5月29日号156~159ページを参考にしています。当記事内のデータや所属チームなどは、「週刊現代」記事掲載時のものです。

身体能力は優れるも・・・

まずはオコエ選手の基礎的データから。

・父はナイジェリア人、母は日本人
・1997年7月東京都東村山市生まれ
 
・「瑠偉」はルイ・ヴィトンからとられ、元サッカー日本代表・ラモス瑠偉選手と同じ漢字を当てている
 
・183cm 85kg
・高校通算37本塁打
・スイングスピード157km
・遠投120m
・50m5秒96

 
こうした数字だけを見れば、プロとして十分通用する印象を受けますが、入団当初はチーム首脳陣から厳しい評価を受けていました。
 
楽天の池山隆寛一軍チーフコーチは、オコエ選手についてこう指摘しています。

オコエの打撃を建築に例えたら、まだまだ土台づくりの最中です。それ以前に、柱にする材木を鉋で削ってる段階かな。
 
具体的な欠点を言うと、バットを振るときに左脇が開くのでスイング軌道が安定しない。いろんな方向にブレる。
 
これではプロのスピードや変化球にはついていけません。
 

コーチにここまではっきり指摘される欠点があるのなら、早々に改善しないとプロとして結果は残せません。しかしオコエ選手にそれだけの自覚や危機感があったかというと、周囲の人達は懐疑的だったようです。
 
池山コーチの指摘を続けます。

問題は、オコエ本人にそういう意識があるのかどうか。
 
去年から練習に遅刻したり、持って来るように言った道具を忘れたり、何をやらせても長続きしないんですよね。

オコエ選手は小さい頃はサッカー、ゴルフ、バスケットボールといろんなスポーツを経験しています。
 
野球を始めたのは6歳の時で、小学一年生の時に東村山ドリームというチームに入団します。
 
素質に優れたオコエ選手は、
 
・小学6年生で3番・捕手を務め、都大会を2連覇、関東大会で3位
 
・巨人のジュニアチームに選ばれ、NPB12球団トーナメントで準優勝
 
など、抜群の成績を残します。
 
オコエ選手自身も、自分の能力の高さは自覚していました。

地元でやっていた相手は、投手の投げる球が遅すぎてね、簡単にホームランを打てちゃう。ショートゴロでもぼくの足で走ればセーフになるし。
 
正直、それほど力を出さなくても勝てました。

東村山リトルシニアの渡辺弘毅監督は、中学生時代のオコエ選手についてこう語っています。

守備と走塁に関しては抜群でした。1年生で3年生の試合に出られたくらいです。
 
捕手から外野手に回したら、フライの落下点に入る足の速さ、送球する肩の強さ、どちらも一番でした。
 
盗塁にしても、ふつうの子なら教えられてもできないセンスを最初から持っている。だからいつもノーサインで走らせていました。
 

フィジカルの強さゆえに生まれた欠点

ただ、身体で恵まれたがゆえの”落とし穴”もありました。渡辺監督は、オコエ選手の打撃面の課題をこう語っています。

身体的特徴として手足が長い。上半身の力も並の中学生とは違う。力任せにバットを振り回しても届くし、当たったら飛ぶんです。
 
でも、そんな打ち方を続けていると、どうしても上半身が突っ込んで、バットが遠回りするようになっちゃう。

いわゆる「手打ち」のスイングであり、普通の子供であれば凡打になり「この打ち方では駄目だ」と改善を意識します。
 
しかしオコエ選手の場合はなまじ飛ばせてしまうため”このスイングでもヒットを打てる”と考え、打ち方を変える必要性を感じなかったのです。
 
そのため、渡辺監督は「中学ではずっと下半身を使う打撃ができないままだった」と悔やんでいます。
 

 
加えてオコエ選手は練習をよくサボっていました。外野の守備練習中、「ションベン行ってきます!」と言っては、右翼側にあるトイレに行き、1時間も2時間も帰ってこないのです。
 
本人は
 
「サボったのはぼくだけじゃありません。チームのみんなと、サボる番を回してたんです。トイレで寝てたやつもいれば、近くで焚き火にあたっていたやつもいる。遊びみたいなもんだったんです」
 
と反論していますが・・・。

転機と高校入学で受けたショック

いまいち真剣さが感じられないオコエ選手ですが、その姿勢を変えたであろう出来事があります。
 
それは股関節の病気(大腿骨頭すべり症)と東日本大震災です。
 
オコエ選手はこの時期を「自分の中で野球が遊びから本気になったとき」としています。
 
野球にもっと打ち込むべく、強豪・関東第一高校を進学先に選びます。
 
中学生までは周囲を圧倒していたオコエ選手でしたが、関東第一の野球部ではレギュラーをとれませんでした。同い年で小さな身体にも関わらず、オコエ選手より上手い選手が大勢いるのです。
 
これではダメだと一念発起したオコエ選手は、一年生の冬から猛練習に打ち込みます。
 

 
その姿勢と上達ぶりを米澤貴光監督に認められ、2年生の春には背番号18を与えられ、初出場を果たします。それからの活躍はよく知られているのではないでしょうか。
 
プロになってからのオコエ選手は、関東第一で感じたような壁に当たりました。特に課題になったのが、バッティングです。
 
東村山シニアで指摘されていた欠点は、関東第一でもそのまま残っていたのです。
 
米澤監督はこう語っています。

正直言って、ウチでは悪い癖を取り除くところまでしかできなかった。
 
手足が長いものだから、力任せに振り回しているでしょう。だからスイングが汚い。
 
もっときれいな打ち方にしてプロへ送り出したかったんですが。

プロでは、素質だけでは生き残れません。自分の欠点を常に改善する探求心が欠かせないのです。
 
しかしはじめに紹介したように、プロとなった現在でもオコエ選手の姿勢に疑問を呈する意見もありました。
 
これに対し、オコエ選手は記事の中でこう反論しています。

頑張らなきゃいけないとは思ってます。ぼくの場合、走塁や守備に比べれば、確かに打撃が一番落ちますから。
 
でも、1年目で本塁打も打ってるし、そんなにダメだとは思っていません。
 
指導者に言われたことの全部が全部、プラスになるわけでもない。自分でやってみダメなものは、すぐに消すようにしてます。
 
ぼくは、野球を楽しみたいんですよ。真面目にやるのも大切ですけど。
 

週刊現代の記事の最後には、日本ハムの中田翔選手のケースが挙げられています。
 
中田選手は入団後、身体の硬さなどフィジカル面の課題を克服するため二軍での練習が続きました。
 
一軍に定着したのは、4年目の2011年だったのです。
 
記事では「素質だけではプロで生き残れないと、中田は知らされた。いまのオコエに足りないのも、あの辛酸を舐めるような経験ではないか」としています。
 
管理人も同感です。
 
オコエ選手が本来の能力を活かし、プロでの活躍を続けるだけの成長を遂げるためには、そうした経験は不可欠ではないでしょうか。