いまや「二刀流」は大谷翔平選手の代名詞になりましたが、意外と知られていないこともあります。
それはこの考え方を、誰が発案したのか、ということ。
スポーツジャーナリスト・石田雄太の著書「野球翔年1」に、この件について言及されていました。
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大谷翔平 野球翔年 I 日本編2013‐2018
同書の8~10ページから、一部を抜粋して紹介します。(この本は面白いですよ!)
二刀流は母・加代子さんの何気ない一言から
いきなり結論を書きますと、発案者は大谷選手のお母さん、加代子さんです。
それは素人の発想から始まった。
二刀流のことだ。
大谷翔平がプロに入って一年目の2013年、彼の母、加代子さんに話を聞く機会があった。そのとき、加代子さんがこんな話をしていた。
「翔平に『ピッチャーとバッターってどっちもできないのかね』って言っちゃったんです(笑)。
高校時代のあの子はピッチャーとして結果を残せなかったし、不完全燃焼でした。
バッターとして先に芽が出ちゃっているようにも見えましたし、だったら両方やればいいのにって…」
プロの厳しさを知っている大谷選手は、この問いかけに対してかなり否定的でした。
しかし…
この加代子さんの言葉に対し、大谷は「プロの世界は死にもの狂いでポジションを奪おうとしている世界なんだから、どっちもやりたいなんて、やってる人に失礼だよ」と反論していたのだという。
しかし、花巻東高校の佐々木洋監督から教えてもらった「先入観は可能を不可能にする」という言葉を胸に刻んで、高校生の時点で163kmという目標を設定していた大谷である。
加代子さんが何気なく口にした先入観に囚われない発想は、彼の頭の片隅に残っていたのではないだろうか。
加代子さんはこうも言っている。
「そんなの無理に決まってるとか、非常識だっていうみなさんの声を後から聞いて、そういうものだったのかと思いました。
ただ、昔から翔平には人のできないことをやってみたいという冒険心があったと思うんです。
どっちもやるんじゃ、2000本安打も200勝も無理だねって言われるんですけど、翔平一人で1000本安打と100勝じゃダメなのかしらね(笑)」
実はプロの立場でも、加代子さんの考えを否定しない人達がいました。
ファイターズ首脳陣 常識に囚われず「やってみよう」で一致
大谷選手が一度は否定した「母の突拍子もない考え」が、ファイターズでは「やってみては?」と捉えられたのです。
そんな素人の発想を、プロの集団が実現する。
投げて、打つ息子を見守ってきた加代子さんの想いは、ファイターズの、これまた常識に囚われない野球人たちによって具現化されることとなった。
その一人がファイターズの吉村浩GMである。
彼は、こう話していた。
「才能を殺している野球界だなというのは常々、思っていることです。
才能を伸ばすのではなく、一個一個、ハサミで切りながら、選手を作ってしまっている。僕はそういうプロ野球界にものすごく抵抗がありました」
もちろん、栗山監督も乗り気でした。
大谷との交渉にあたった当時のスカウトディレクター、大渕隆はこう回顧する。
「栗山(英樹)監督が二刀流の話を本人に初めて切り出したはずです。そういう戦術でした。
ただ、そもそもスカウトの間では、両方やろう、という積極的なものがあったわけではなく、決めなくていいよ、どちらかに絞らないことを否定しないよ、というスタンスだったんです。
それを”二刀流”という言葉にして、大谷に『やるよ』とハッキリ言ったのが、栗山監督です」
大谷選手の二刀流での実績は改めて言うまでもないでしょう。
最近まで「そんなことは無理」とされていたのに、です。
可能を不可能にしてしまう先入観は、意外と”常識”となって広く信じられているのかもしれません。
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大谷翔平 野球翔年 I 日本編2013‐2018